6月4日の同窓会総会は、例年雨が降る梅雨のさなかに開催されるのですが
今年は私たち33年卒など、3の付く学年が当番年でした。23年卒はさすがにもう81、2歳
なので受付の係りから外されて、33年、43年、53年、63年と10歳ずつ若くなり
担当年も出席の多い私たちは自分の学年だけの受付で楽チンでした。と言うか
違う学年の方々にすばやく対応して、名札や会費の集金は難しいと思われたのが実情でしょう~。
東京から5名が参加して、25名の出席でした。今年は東日本大震災への募金をと呼びかけて、
私たち33年会はこれまでの余剰金の中から10万円を寄付させてもらいました。
私のクラスの担任だったシスターは5年位前になくなられましたが、他のクラスの3名の先生方は
80歳を超えたいまでも背筋がぴんとされて、生徒の名を良く覚えておられて、皆感激でした。
同じ学校で青春時代を過ごして皆は直ぐ53年のときを超えて、直ぐ女学生時代に戻ります。
最初は19名が桜島の古里観光ホテルへ宿泊予定でしたが、5名が体調を崩して泊まれなくなり14名で櫻島へ渡りました。
その日は火山活動が活発で、ホテルのすぐそばに見える噴火口から高く噴煙が上がっていましたが
風向きが南風で北の方へ噴煙が流れて、海辺の露天風呂には灰が降らずほっとしました。
この露天風呂は厚手の白い浴衣を着て入り、混浴になっています。
私たちが入っているときも若い外国の男性が二人、日本人の男性も数人入っていました。
湯加減も丁度良くてウンがよいとイルカの姿も見える露天風呂です。ここから上がり大浴場へ入りました。
次の日はフェリーで鹿児島市側にわたり、寄り道クルーズの船便で50分の錦江湾クルージングを楽しみました。
クルージングのこの日は雨風が強く折角の眺めも見えず残念でしたが、案内の小父さんガイドさんが
小学唱歌の「われは海の子~」♪の歌は、かごしま出身の方が作られたもので、最後の歌詞は軍国教育の歌になり
軍歌として歌われていたと、素晴らしいテノールで歌われてちょっと軍歌の言葉に驚きながらも拍手しました。
お昼は繁華街のお蕎麦屋さんで、黒豚シャブシャブのランチでお別れでした。
幹事役として、何よりも怪我などのアクシデントがなくてほんとに良かったでした。
先週は写真の現像や仕分け、決算書など作ったり送ったり、ばたばた過ごしました。
友達からお礼のはがきが届いて、私より主人の方が疲れたと笑っています。無事に終わりました。
ゴールデンウィークの4月28日お天気で急に思い立ち、標高650メートルの島津ゴルフ場近くから
姶良市へ下りる3キロの白銀の坂を歩きました。
鹿児島の城下町から私の住む吉野台地を通り、島津ゴルフ場のある宮之浦から、この白銀坂に行くまでが
大変な距離ですが、昔の参勤交代はこの東目筋がさつまの街道でした。篤姫も通られた街道です。

3キロの坂は全部石が敷かれていて長い距離を、丸や四角の石が敷かれていて昔の人が
この道を通ったのだな~と昔の人の気分で歩きました。
のぼりに弱い私と違いなぜか夫は下りに弱く、到着したときはもうヘロへろ状態でした。
ズボンはニッカポッカでお洒落に決めていますが、まだ下り始なのにふら~~り状態みたいです。

途中にはかんな看板があちらこちらに立ててあり、夏は歩きたくないです~

標高の高い坂の入り口近くには、まだシャガの花が沢山咲いていました。自生地ですね。


石組みのしっかりした側溝もあり橋が架かっていましたが、水は流れていませんでした。

大きな森の何処からか遠くかえるの声が聞こえてきて、急な坂を休みながら2時間かけて下りました。
姶良市が見えるところでタツナミソウを見つけました。もう我が家の近くでは咲いていない花です。